院長コラム Column

25年目か・・・

院長コラム院長ブログ

25年目か・・・

1月17日

25年前の早朝、何故か頭と目パッチリで目覚めた。外はまだ暗い。上半身を起こして、時計を見るとまだ5時43分頃だったと記憶しています。

「さむっ・・・何で目が覚めたんやろ?まだこんな時間だし、もう一眠り出来るな・・・」などと考えていたら突然の突き上げる様な揺れがドン!と2回位あり、その後に東西に揺れる大きな揺れが来ました。布団の上で座ったまま身動きできないで長い揺れの収まるのを待ちました。

その頃はJR神戸線沿いにある塚本駅近くのマンションの5階に住んでいたので結構揺れました。電気を付けると部屋はぐしゃぐしゃで冷蔵庫のドアが開いて中の物が飛び出ていましたが、手前の食器棚が倒れてガラスが飛び散っていましたので、近寄る事が出来ませんでした。

私の寝ていた枕の上に重いコンポとスピーカーが落ちて散らばっていましたが、上半身を起こしていたので頭を直撃することなく無傷でした。鍵をかけていなかった窓は大きく開いていたので、それだけ閉めて「明るくなるまで取り合えず寝よう・・・」と再び寝ました。(今考えたら、なんで寝るねん(-“-))そして7:20分に目覚ましと共に起きて初めて部屋の全容が見えました。最初に思ったのは、「うわっ、これ誰が片づけるねん(>_<)」でした。

落ちてひっくり返っているTVを付けてみると映った(*^▽^*)と一瞬喜んだのも束の間で、「え~っ、これって本当に神戸なん??」映っている神戸の映像に愕然としました。職場のクリニックも連絡がつかない・・・実家の両親の安否確認をして、1日掛かってガラスの破片の処理と部屋を片づけないと外にも出られない状態でした。

夕方にドイツにいる弟から安否確認の電話がありました。大学に行く前に用事でケラーに行ったら、「今日、日本の神戸で大きな地震があったらしいけど君の国じゃないのか?」と2人のドイツ人に声を掛けられたらしく、急いで公衆電話からかけてきました。国内の電話回線はパンク状態でしたが、国際電話は通じたようです。(留学出資者の一人でもある私に、留学中の7年間で弟から電話が来たのはこの1回だけでした。 オイッ(-“-) )

治療家としては、この震災によって教科書上でしかなかなか診られない症例を診させて頂く経験も出来ましたが、家や家族を亡くされたり、復興も様々なケースで心身に大変な負担と苦労をされている事実にも患者さんを通して沢山触れる経験をさせて頂きました。人の優しさと生きる力で今日があると思います。

形あるものはいつかは壊れる・・・頑張っても自然の力には勝てません。

今を「生きてるだけでまるもうけ」と言う、明石家さんまさんの座右の銘にも頷ける阪神淡路大震災25年目を想う今日一日でした(^_^)

 

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